増田 一正 |第一章 始まりの始まり

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【第一章】 始まりの始まり

ということで、始まりました。
「人々の物語」別名、丸裸にするぞシリーズ、記念すべき第1回目は、もちろんこの方。
赤担当、増田一正さん、株式会社REASO、代表でございます。
いきなり、私の根暗な部分から始まってしまいますが、一応オチもございますので、ごゆるりとお楽しみください。

増田一正 解体図

2019年9月1日、日曜日。
熊本市内を出発したのは朝7時半、天気は曇り。
阿蘇方面を見ると雲が上がっていく途中だった。
これなら大丈夫かなと思いきや、西原村からフロントガラスに当たる強めの雨。
まぁ、でも、雲は上がっているから・・・と思い、そのまま進んだ。
約束の時間は9時半。
天候も相まって、南阿蘇に向かう道はとても空いていた。
予想より早く到着したが、心の中を整理する時間に。
この企画を「文章書くの好きです!」と勢いで買って出たものの、ノウハウも何もない。
ただただ妄想の中だけで、構想を練った。
それで本当に良いのか。
猜疑にとりつかれた自分とやってみないと分からないと腹をくくっている自分とが闘う。
そんな心情を表すのかのように、冗談のようだが眼前の景色は正に五里霧中だった。

真っ白(笑)

そして、雨足はどんどん強くなる。

9時半、約束の待ち合わせ場所に移動。
メッセンジャーで到着の連絡を入れたら、入れ違いで8時37分発信のカズさんからのメッセが入ってきた。
「めちゃくちゃ、雨降ってます。取材ずらしますか?」
もう着いてしまったですー!と速攻で返事をした。

そして、この後、様々な驚きが展開されることをこの時の私は知らない。

まずは久木野キャンプ場まで移動。
カズさんがマルデンでランチの仕込みをしている間、キャンプ場内をうろうろしていた。

マルデン号と「南阿蘇knot」がある久木野キャンプ場

空中テント、実物設置、初めて見た

ここは「アウトドアクラブ 南阿蘇 knot」の拠点で、マルデンの仮営業の場所でもある。
ここを初めて訪れた時、こんなところがあったんだと感動した。
くぬぎの林、木陰は万華鏡のように光を踊らせ、心地よい風が縦横無尽に走りぬける。
幼い頃、雑木林の中をはしゃぎまわり、野いちごをつまみ食い、木に登り、段ボールで秘密基地を作った。
その記憶が鮮明に蘇る。
子供の頃のわくわく感が足元から頭の天辺に突き抜けて、顔がほころびる。
そんな昔を一瞬で思い出させてくれる場所。
休日はここに来て、マルデンのローストビーフのせキーマカレーを食べ、モーリーさんのコーヒーを飲み、まったりしていることが多い。
秘密の「休日を過ごす」場所。
これを知らないって損だ。

10時に約束があるとのことで、移動は1台でとなり、カズさんの車に乗り込んだ。
「気をつけてくださいね」と後部座席を指差す。

こんなスリリングな助手席は初めてだった。
チェーンソーではなかったけれど、この日のカズさんの車はジェイソン号と呼んでも過言ではなかったかも。

〜幼少期から学生時代〜

ご出身は?
増田 生まれは大阪府なんすよね。
出身地の定義がようと分からんけど(笑)。
小学校2年の時にこっちに帰ってきて。
父ちゃんが元々南阿蘇の人間で。
仕事で大阪に行ってて。
お母様は?
増田 も、こっちの熊本市内の人。
金峰山。
みかん山とかある河内。
じゃあ、お仕事で大阪にいらっしゃって。そして、南阿蘇に戻って。
小学校中学校は南阿蘇村で過ごして?
増田 そう、もうここです。
(ちょうど南阿蘇中学校の横を通り過ぎる)
あそこ、前は長・・・
増田 長陽中。
ですよね?で、この先に、長陽村役場ありましたよね?
増田 よくご存知で。(元役場に寄り道。駐車場内をぐるっとまわる)
母がここに本籍置いてて。その関係で何度かここに来て。
増田 えっ。長陽すか?
はい。なので、何回かここに(笑)。
増田 自慢して良いすか?自慢して良いすか?
はい!はい!!なんですか!?
増田 これ、うちの爺ちゃんです。
どーん!って効果音が頭の中に響く(笑)
あ?おおおお?!!!やっぱりそうなんですか??
増田 (笑)。はい、うちの爺ちゃんです(笑)。
この間、長陽村史見てて、似た名前の人いるなぁって思ってたんですよ。
増田 うちの爺ちゃんです。(3回言った!(笑))
・・・銅像があるって凄いですね。
増田 ちょうど高度成長期の頃に阿蘇大橋(おお!赤橋!!!!!)作ったり、東海大学誘致したりとか、爺ちゃんが。
先見の明があるっていうか、南阿蘇の基礎を作ったっていうか・・・。
増田 はい。長靴で国会に乗り込んで行ったていう話も(笑)。
それ格好良い!!(笑) へえーーーーーーーー・・・。(凄いなぁ・・・)
増田 湯ノ谷ゴルフ場とか東急ゴルフ場もそうなんですけど、あの辺も全部。
へえーーーーーーーー・・・。(いやいやいやいや・・・・・・)
増田 父ちゃんもそういった流れがあって南阿蘇村に帰って来て。
村会議員まで務めたんですけど。
病気でですね、癌にかかっちゃって。
もう13年くらい前かな。
爺ちゃんの後、継ぐんだって大阪から帰って来たんだけどね。
父ちゃん、警察だったんです。
だから、自分、大阪府警の息子です(笑)。
あんま悪いことできないです(笑)。
(笑)。結構見られている立場だったり?
増田 そうですねぇ。
小学校の頃からそんな感じだったかもしれんですねぇ。
あぁ、あそこの孫か、あそこの息子かって。
ま、有り難いは有り難いですけどね。
ですね。でも、ちょっと窮屈なとこがあったりしなかったですか?
増田 です、です。
まぁ、なんちゃ思っとらんとも思いますけどね(笑)、まわりの人は。
じゃあ、小学校、中学校で印象に残ってることは?
増田 んーーー。
ずっと野球が好きで、ずーーーーっと野球やってましたね。
ピッチャーで投げてましたよ。
なんかこう身体ばっかり動かしてて。
(すごく想像できる・・・)昔っから体格もよくて?
増田 はい。
じゃあ、モテたんじゃないですか?(背も高くて野球部でピッチャーってモテそう)
増田 いやぁーーーー・・・・・・・・・・・。それはないな(笑)。
なかったんですか(笑)。
増田 ない(笑)。小学校とか少ない人数で楽しくやってた思い出はありますね。
中学校でも野球を?
増田 中学、高校、大学でもちょっとやってましたね。
ただ大学になってやっと自分は下手なんだって気づいて(笑)、辞めました。
高校は?熊本市内って情報、どこかで見かけた気が。
増田 そうそう、学園大付属ですね。
実は高校受験、失敗してですね(笑)。
済々黌で野球したかったんですよ。
中学の頃はちょこちょこ勉強もできてたので行けるかなぁって。
理数系が好きでしたねぇ。
今となってはまったくダメだけど(笑)。
校区外の枠が20人くらいしかなくて。
無謀にも挑んだけど、落ちました(笑)。
そこから学園大付属に。
増田 楽しかったですよ。
学園大付属、面白い子がいっぱいいたんで。
今でも続いてますねぇ。
なんか、ざっくばらんに。
高校時代は遊びすぎました(笑)。
因みに・・・初恋は?!
は、初恋?!!(困った顔してます(笑))
んんんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
・・・小学生の頃かなぁ・・・。

本当に困った表情だったので、ひたすら元気に野山を走り倒している男子の姿がありありと脳裏に浮かんでいた。

さて、今回はここまで。
10時の約束は一体何なのか。
一週間、お待ちください。
焦らします。
既にご存じの方は、ご存知の「アレ」です!
そう!「ソレ」です!!

マツモトヨシコ(根暗な水瓶座)(いや、ほら、星と・・・って売りだから)