No.0:創め |REASO 南阿蘇 〜人々の物語〜
【No.0:創め】
ここ九州は熊本の南阿蘇村で「夜の山散歩」というイベントが行われている。
REASOという会社が開催しているイベント。
ご覧の方でご存知ではない方はいないとは思うけれど、念のため。
中央、陽が当たっている山が「夜峰山」
阿蘇五岳には含まれないけれど、西原村から南阿蘇村に入ると一番最初に目に飛びこんでくる山。実は一番古い時代にできた山じゃないかとも謂われている。
健磐龍命の神話が語り継がれている山。
あか牛の放牧地で入れるのは関係者のみ、山の一部が牧野(ぼくや)になっていて、その中にある池が実は火口跡だったり。
それが夜の山散歩の舞台、夜峰山。
そして、夜かぶりなのは多分、偶然。
その夜峰山の山頂を目指し、文字通り「夜」散歩する。本当に散歩、もしくはウォーキング。
でも、世界一のロケーションと、どこにもない空気感だと自負。
普段、立入禁止なのに牧柵を越えて牧野の中を歩くことができるのは、このREASOが開催しているから。
不可能を可能にしているのは、REASOの真摯さが鍵なのかなと、勝手に思っている。
会社設立が2019年3月26日火曜日。
「夜の山散歩」の記念すべき第一回開催は、同年3月29日(金)、30日(土)、31日(日)。
個人的なことを申しますと。
この最終日、31日、日曜日にお初で伺ったんです。
Facebookからメッセンジャーでフルネームでマツモトヨシコです!と名を名乗り、何人で行きます!と。
今思うとちょっと恥ずかしい(笑)。
最終日、スタートからクローズまで4時間。
ええ、凍えてました。軽く震えてました。
下山し駐車場に到着したとき、スタッフさんに遭難したかと思ったって言われるほど、居座り続けてしまいました。
でも、あの山頂の開放感となぜか温かい雰囲気に癒やされまくって、その夜は爆睡。
翌朝は「憂鬱な月曜日」なはずなのに今までに感じたことのない爽快な目覚め。
その瞬間、本当にドハマリしました。
前夜、下山するときスタッフさんに「お手伝いできることありませんか?!」と初対面なのに言葉柔らかに詰め寄り。
でも、本当の本当に「これはだたものじゃない・・・」と強く感じたのは月曜の朝の体験があったから。
これをまだ体験していない、見知らぬアナタに是非とも、これをこの感覚を体感していただきたい!!
・・・という思いは脱線なので、本編に戻ります。
それから、4月の開催も通い堪能しながらも、「何か・・・」と押して押して押して。
それが功を奏したのか、5月のGWから本当にお手伝いすることになり、今まで(呼ばれてない日も足を運び)皆勤賞です!
今後も皆勤賞、目指したいと思います!!
ありがとうございます!褒めて下さい!!
嘘です。ごめんなさい、ちょっとだけ自慢です。
そして、もうちょっとだけ個人情報追加すると。
自分でもよく分からないレベルで阿蘇が大好きなんです。
理想の人と訊かれたら、阿蘇みたいな人と答えてしまうくらいの変態の域。
自分でも阿蘇みたいな人がどんな人なのか、さっぱり分かっておりません(笑)。
救いようのない変態と覚えていただければ、これ幸い。
・・・いや、でも、本当に・・・こんな変態を受け入れている皆さんってどんな人達なんだ・・・。
皆様の記憶にもまだ新しいであろう、熊本地震。
2016年4月14日の前震と16日の本震。
一度目の揺れで思いの外、大きな被害という被害がなく、これで揺れは収まるだろうと安堵しつつ寝入った途端の本震。
半ギレで「もう!いい!!!」と激怒しながら飛び起きた。
怒りに身を任せ、最低限必要な物と怯えきった猫を抱え、近くのスーパーの駐車場へ移動。
止まない地鳴りと余震。
目の前の5階建て程度の建物が揺れるのが目視でわかる。
電線はずっとほわんほわんと弛んでいる。
若い女性が独りでぽつんと座りこんでいたので、心配で声をかけると県外の子で知り合いが誰もいないと話した。良かったらと申し出、車の中で一緒に夜明けを待った。
早朝4時、道路を走るゴミ収集車。
思わず三度見。日本人って何だかよくわからないけれど、本当に生真面目。
そんな中、様々な情報が錯綜する。
嘘か真かわからない情報ばかり。
その中で一番嘘だと思っていたのは。
赤橋が落ちた。
GWに入って、唯一通れるグリーンロード南阿蘇をトラックに混じって走る。
阿蘇神社も酷いことになっていると聞いたので、これは多分絶対に見ておかなければならないと。
南阿蘇村に入り、久木野のあそ望の郷が営業していたので、何か買わなきゃと梅干しを買った。
スタッフの方に何か言葉をかけようかとしたが、言葉が出なかった。
所詮よそ者だ。当事者ではない。簡単に頑張ってくださいとは言えない。
ありがとうございますとだけ応じ、梅干しを受け取った。
テラスでぼうっと眺める。
目の前の景色が頭に入ってこない。
見てはいるのに、頭が理解していない。
あの頃は南阿蘇村から阿蘇市に抜けるには、栃木線(西登山道・草千里浜栃木線)を通るルートしかなかった。
言葉が出なかった。今でもあの状況を形容したくもない。
ここもここもここも・・・運転に支障をきたすので、涙が出ないよう、深くゆっくりと呼吸をした。
沢津野を通りすぎる。
限界だった。
瞬きで涙をひとしきり落とし、また深くゆっくりと呼吸を始めた。
沢津野は、なぜだか分からないけれど、大好きな集落で。
完全に怪しい人だったけれど、あの集落の中をふらりと散歩し、V字の道にある神社から杵島岳を仰ぎ見るのが大好きだった。
特に稲穂が金色に頭を垂れている季節のえも言われぬ、そこかしこにあふれることほきな感覚が大好きだった。
阿蘇市に入り、阿蘇神社を訪れ、阿蘇市内を走り、1mの段差に驚き、市内の避難先の友人宅に戻った。
結局、その日は赤橋を見られなかった。
いや、正しくは見たくなかったからとことん避けた。
そして、それから2年半、阿蘇に足を踏み入れることができなかった。
きっかけを与えてくれたのは職場の先輩だった。
「車を買い替えたから、阿蘇に行きたいのよね。ナビゲートして?」
ええ、先輩の言いつけです、断れません。
でも、それがなかったら多分、夜の山散歩にもREASOにも出会えてなかった。
東日本大震災の時、西の端からできることはやろうと、色々と個人的に動いて。
でも、個人の限界もまざまざと見せつけられて七転八倒。
でも、できることしかできないからと開き直り。
最後にはその現実を生きている方々に逆に勇気づけられて。
そして、生まれる。
言葉にするととても陳腐だけれど、どう足掻いても生まれてしまう。
悲しみしかないと思われる現実から、希望が。
そして、あの時見た希望を私はREASOに見いだしている。
REASOが生まれたきっかけは、正にこの熊本地震。
熊本地震がなかったら、夜の山散歩もなく、お客様の笑顔にも出会えてなく。
逆にありがとうとつぶやきたい。
でも、まだ渦中にいる方々からしたら、神経を逆撫でる発言になってしまうから大きな声では言えない。
いつか、いつの日か。
良かったねと笑える時代になっていることを願いつつ、希望を未来に置いておこう。
REASOの根っ子は、本震から2ヶ月後の2016年6月に発足した「南阿蘇村観光復興プロジェクト交流協議会」にある。
この中から、「つなぐ、つながる南阿蘇未来会議」というグループが出来、「つなぐ、つながる南阿蘇プロジェクト」が動き出す。
その「つなぐ、つながる南阿蘇未来会議」から生まれたのがREASO。
引いては、2016年4月の熊本地震から2019年3月設立まで、色々とあったんだろうなと安易に想像はできるのだけれど。
本当のところはどうだったのかもちょっと訊いてみたい。
REASOの一ファンとしても興味津々。
なので・・・。
訊きます。
週1回の更新でREASOのメンバー紹介、始めちゃいます。
タイトルは、「人々の物語」。
REASOのHPの中に「南阿蘇の物語」というコンテンツがありますよね?
そのコンテンツの序文に
星と火山と草原から聴こえてくるのは
宇宙と地球、そして人々の物語
とあって。
その「人々」を私はこう解釈している。
ここに、
住を構えている人々。
住を移した人々。
ご先祖様達。
神話の中で語られる神様に姿を変えている人々。
訪れている人々。
これから訪れるであろうまだ見ぬ人々。
この「人々の物語」のまずは身近な「人々」から。
REASOは総勢14人。
その中のメインメンバー、5人からスタート。
この5人だけでも、かなり極彩色豊か。
もうこうなったらちょっと色々と訊いて、身ぐるみを剥がそうかと。
もし、誰それにこれ訊いてほしい!という稀有な方がいらしたら「マツモトへ」とご指名いただければ、届きます。
勝手に言い切っておりますが、届きます。
内容を精査して、訊きます!
精査なんて偉そうなこと言って、ごめんなさい。
でも、精査します!
お待ちしております!!
あ、スケジュールと合わなかったらごめんなさい。
あ、でも、それでコンテンツひとつ作れるかも・・・。
REASOのテレ朝のスーパー戦隊シリーズ 張りに濃い5人組、丸裸にしてお見せします!
乞うご期待!!
マツモトヨシコ(私は雑魚キャラ設定)